地元に帰りたくても、気軽に行き来ができない昨今のコロナ禍。
栃木県全25市町にひとつずつフォーカスを当てて、25回開催していく「栃木ゆかりのみオンライン」が始まりました。
今回は下野市に焦点を当てた栃木ゆかりのみオンラインの様子をお送りします。
東京圏をはじめ、日本全国、中にはアメリカから(!)栃木県出身者が集まりました。参加している場所は様々でも、離れていることを感じさせないほどの熱い飲み会となりました。
栃木ゆかりのみオンラインの魅力は、各市町ごとの開催でオフラインでは聞けないようなまちのディープな情報を聞けること。
もちろん、世界のどこからでも参加可能です!
-栃木ゆかりのみって?- 「栃木ゆかりのみ」は栃木県出身者や在住者、栃木に興味がある人たちが地元トークをする場として、2015年に始まった飲み会です。 若者たちがカジュアルに地元に触れ、Uターン・Iターンだけでない新しい関わり方を提案したいという思いのもと、これまでのべ750人以上の方にお会いすることができました。 |
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「何もない」は「何でもできる」
「下野市って、何が売りなんですか?」
今回は、参加者のこんな率直な質問から始まりました。
筆者(下野市の隣の壬生町出身)の印象は、「自治医大もあるしJRも通ってる、都会の街」。
でも言われてみれば、それ以上のことは何も知らないかも……。
そこで下野市役所の浅香さんより歴史的背景の説明が。
飛鳥時代には東山道が、さらに江戸時代には奥州街道・日光街道が通り,宿場町として多くの人と物が行き交い栄えたそう。
下野市は昔から交通の便がよい住みやすい街だったんですね。
さらに現在は自治医科大学の影響で医療施設や福祉施設が充実し、人口一人当たりの医師数は日本一!
所得1000万円以上の人もとても多いという情報も。
医療や福祉機関で働く女性も多く、それもあってか若年女性の人口減少率が県内でも断トツに低いとのこと。
栃木県でも多くの地域が女性の流出に悩んでいますが、やはり雇用は最重要項目ですね。
一般社団法人シモツケクリエイティブの山口さんからは、下野市についてこんな言葉をいただきました。
「下野市には、これといった特色はないかもしれない。けれどもそれは裏を返せば既成概念がないということ。」
「すでにこれだというイメージがあったら、新しいことをするのは難しい。その点下野市はまっさらで、何でもできる。」
シモツケクリエイティブは、一級建築事務所アンプワークス代表の山口さん、伊澤いちご園代表の伊澤さん、国分寺産業代表の田村さんにより立ち上げられたまちづくり会社です。
そのうちの一人、伊澤さんはこう続けます。
「伊澤いちご園のある吉田村は、下野市の端っこ。インフラを自治医大周辺の都市部に集めたら、田舎は死ぬしかない。たとえ小さい町でも、子どもたちに未来を残したい。」
近年の新しい地域の形として、一部の地域に人口やインフラを集中させる「コンパクトシティ」が唱えられています。
下野市も例外ではなく、3つのJRの駅や自治医科大学周辺を中心にコンパクトシティ計画を進めています。
そんなコンパクトシティについても、シモツケクリエイティブは「コンパクトシティの定義をひっくり返す」ことを目指している。
「確かに自治医大の周辺にはTSUTAYAがある。タリーズがある。
でも、下野市の魅力はそれだけじゃない。少し行けばこんな田んぼがあるとか、歴史資源があるっていうことが売りだよね。
東京の劣化コピーを目指すんじゃなくて。」
この言葉には、参加者の多くが画面越しに頷いていました。
今の時代、ネット通販などで必要なものは都会・田舎関係なく手に入れられるようになりました。
もちろん、都心へのアクセスなど不便なこともありますが、その市そのまちにしかない魅力がそれ以上にあることは、これまでのゆかりのみでも感じたことでした。
伊澤さんは続けます。
「僕らはのろしをあげているんです。こんなに楽しいイベントがあるよ、下野市に住むとこんなに楽しいよっていうのろし。
まちづくりはこうでなきゃとかではなく、楽しいこと、おもしろいことをやって住んでる人が楽しんでいれば、”この指とまれ”方式で人が集まってくる。」
ただ観光客を呼び込もう、移住を促進しようということではなく、まずは住んでいる人が楽しく暮らして、いいなと思った人が来てくれる。
お互いにとって楽しい、そんなまちづくりを目指しているそうです。
挑戦する人に協力したい
お話を聞く中で、シモツケクリエイティブと下野市の信頼を感じさせるこんなコメントがありました。
「こいつらが下野市のために頑張るのは、かっこいいパパだと思ってほしいからだよ。」
長年、下野市役所の職員としてシモツケクリエイティブとともにまちづくりを行ってきた浅香さんの言葉です。
シモツケクリエイティブと浅香さんが、子どもたちに未来を残すために行動してきた道のりと信頼が垣間見えた瞬間でした。
山口さんや伊澤さんは創業当時から、やってみたいことがあれば浅香さんに相談し、企画書を出し、ときには市長に直談判させてもらうこともあると語ります。
「吉田村ビレッジという農泊施設を企画したときには、市の管理している石蔵を使いたいということになり、中にあった文化財をどかしてもらったりとか(笑)」
という、行政の方々とさまざまな形で企画を進めたお話も聞くことができました。
シモツケクリエイティブと浅香さんの関係のように、下野市には新しいことに挑戦する人を応援する風土を感じました。
市役所の若手の職員さんも増えており、「しもつけ★未来塾」という若手職員による自主活動グループも創設されたそうです。
4月より地方創生事業の担当となった下野市役所の松沼さんと島田さんからは、「”浅香さんだからできる”のではなく、若手の私たちでも民間に協力できるシステムを構築していきたい。」という心強い言葉を聞くことができました。
コロナ禍で確信した想い
新型コロナウイルスの影響は各方面におよび、飲食店を経営するシモツケクリエイティブも例外ではありませんでした。
そんな中で始めた新たな試みがあるといいます。その名も「シモツケ大サーカス」。
伊澤さんが経営する伊澤いちご園や、宇都宮で人気のベーカリー「THE STANDARD BAKERS」などの飲食店が、各地で出張販売をするという試みです。
また伊澤いちご園は3月に下野市を飛び出し、日光市に「日光ドラバタさん」というスイーツ店をオープン。
伊澤いちご園のおいしいジェラートとどら焼きのハイブリッドスイーツは、日光の新たな名物になりそうです!
シモツケクリエイティブの山口さんからは、今このときだからこその想いを聞くことができました。
「設計事務所アンプワークスを作ったのが東日本大震災の年。
震災で、自分たちの日常ってこうも変わっちゃうんだっていうことを思い知ったんです。
そして今、このコロナ禍。コロナ以前は観光やインバウンドでまちおこしをしていたのが、今では難しくなってしまった。
こんなふうに、社会は簡単に変わってしまう。
信じられるのは自分しかない、自分の想いしかないってことを、改めて思い知ったんです。
社会はこうだから、時代はこうだからっていうのに流されずに、自分はこうしたいって想いで進んでいきたい。」
この数ヶ月、今までできていたことができなくなったり、従来の慣習が見直されたりと、誰もが社会の変化を感じています。
そんな中で自分たちがおもしろいと思うこと、子どもたちに未来を残すことという思いで挑戦する人々がいることは、まさしく他の何にも代えられない下野市の”売り”なのではないでしょうか。
そして終了5分前になったころ、シモツケクリエイティブ創業メンバーの一人である田村さんが参加。
田村さんからも、
「やっぱりどこまで行っても人。一人の声から、一人の熱意からまちは変わっていくと思います。」
という熱い言葉をいただきました。
終了後参加者からは、下野市ってすごい、おもしろい!という声が続出。
知らなかったまちのことも、この会を通してまちのおもしろさや唯一無二のポイントを見つけられるのがゆかりのみの醍醐味です。
ゆかりのみは予定の1時間半をはるかに超え、そのまま二次会に突入していったのでした。